大判例

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横浜地方裁判所 昭和44年(行ウ)16号 判決

原告 岡本金市

被告 国

訴訟代理人 帯谷政治 ほか五名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者双方の求める裁判。

一、原告

被告は原告に対し金三〇万円を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。との判決を求める。

二、被告

主文と同旨の判決を求める。

第二原告の請求原因

一、原告はいわゆるアスパツクの小田原事件で凶器準備集合罪により昭和四四年六月三〇日横浜地方裁判所に起訴され、同年八月三〇日保釈されるまで横浜拘置所に勾留されていた。

二、昭和四四年七月二九日原告は横浜地方裁判所の前記刑事々件の勾留理由開示公判に出廷するため、同日午前九時四〇分ころ、同裁判所内仮拘置監第五房に収容されたが、午前一〇時二〇分ころ右房内において居房窓格子の金網から直径約二ミリメートルの針金を長さ約三センチメートル折り取り、これを使用して同房の入口右側の漆喰塗の壁に縦一五センチメートル、横三センチメートル位の大きさで「中核」という文字を一ヵ所、縦二・五センチメートル、横二センチメートル大で「中」および「核」という字を二ヵ所落書(以下「本件落書」という。)し、これを看守に発見された。

三、同年八月八日訴外横浜刑務所長は、原告のなした本件落書が監獄法(以下単に「法」という。) 五九条に該当するとして、同法六〇条一項四号、六号、一一号の定めに基づき原告に対し、一五日間の軽屏禁、執行期間中戸外運動、入浴、文書図画閲覧の禁止および自弁に係る衣頼臥具着用の停止の懲罰(以下「本件懲罰または本件処分」という。)を科し、同日執行した。

四、しかしながら本件懲罰は次のとおり連法無効なものである。

(一)  本件処分の根拠とされた法五九条、六〇条の規定は既決、未決の拘禁者を区別せず、一般国民と較べ未決拘禁者の地位を不当に不利益に差別するもので、憲法一三条、一四条、三一条、三二条、三七条に違反する。

法は二、三の特別規定を除いて、刑事被告人を受刑者と全く同一に取扱つている。いずれも国家の営造物である監獄に収容され自由を拘束されている点では同じであるが、受刑者は厳格な手続による裁判の結果、自由を剥奪されるもので裁判の執行と矯化の目的のもとに拘束されるものであり、未決拘禁者は捜査官の疎明に基づき、裁判の出頭を確保するため一時的に自由を拘束されるもので、その手続や目的において異るものである。未決拘禁者は有罪の判決あるまで無罪の推定を受けるものである。これら両者において、自由の制約の程度態様は自ら異るべきことは当然のことわりである。

人権に関する世界宣言一一条一項は、刑事犯罪の告訴を受けた者は、有罪を立証されるまで無罪を推定される権利を有する旨宣言し、わが国憲法も一一条、一三条、一八条、三一条以下に刑事手続に関する規定をおき、それら規定の趣旨は少なくとも第一審判決あるまでは右人権に関する世界宣言と同様に解されており、未決拘禁者は前記目的により一時的に自由を拘束される点を除いて一般国民と基本的人権の保障において異別に取り扱われるべき合理的な根拠はない。未決拘禁者にとつて、刑務所が害悪と屈辱の場であつてはならず、いわんや後記のとおり精神的肉体的苦痛をともなう懲罰が許されないことは当然のことと言わなければならない。

しかるに法一条は監獄の種類の中に被告人を拘禁する拘置監を規定し、同法九条は「本法中別段ノ規定アルモノヲ除ク外、刑事被告人ニ適用スベキ規定ハ……死刑ノ言渡ヲ受ケタル者ニ之ヲ準用シ」と定め、さらに同法五九条は「在監者紀律ニ違ヒタルトキハ懲罰ニ処ス」として在監者に対する懲罰の一律適用を予定している。しかも同法六〇条によれば「文書図画閲読ノ三月以内ノ禁止」「自弁ニ係ル衣類・臥具著用ノ一五日以内ノ停止」「糧食自弁ノ一五日以内ノ停止」「運動の五日以内ノ停止」「二月以内の軽屏禁]「七日以内ノ重屏禁」等が規定され併料を妨げないことになつている。

したがつて法律上では未決拘禁者に対して、その名誉感情をそこなう囚人服の着用を強制することもできるし、適用される懲罰如何によつては現代の情報社会から全く未決拘禁者の知る権利を著るしく阻害し、刑事被告人としての接見交通権、当事者としての防御権を侵害し、刑事訴訟法八一条にも違反することになる。運動の停止、軽屏禁、重屏禁は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を侵害するものであり、その適用如何によつては後記のとおり奴隷的拘束で残虐な刑罰ともなり得る。

そして現実に未決拘禁者の受罰者の数はかなり高率で、昭和四四年の法務総合研究所の犯罪白書によれば「未決拘禁者の受罰人員の一日平均在所人員に対する比率は、四五ないし四七パーセント受刑者の場合よりやや低率である。」とされこの規定が十分活用されていることを示している。

かかる重大な人権侵害を規定する懲罰規定について、憲法上その制約の予定された既決囚と未決拘禁者を一律に適用を予定する条文の存在すること自体すでに個人の尊厳に対する配慮なく、犯罪の容疑を引継いだ明治憲法の遺物で、生命自由幸福追求に対する国民の権利については立法その他国政上最大の尊重を必要とするとの憲法一三条に違反する。

さらに憲法一四条は、法の適用のみでなく法そのものが平等の内容であることを要求するものであるが、法五九条、六〇条の懲罰規定は一般国民に適用がないこととの対比において未決拘禁者に懲罰を科する合理的理由も必要性もないことは前記のとおり明らかであり、その懲罰規定の内容からも拘禁目的以上の人権の制約で不当な差別的取り扱いの規定と言わなければならない。特に監獄法が極刑に処せられる死刑囚と未決拘禁者と同一に処遇していることは著るしく社会通念にも反するところであり、保釈中の被告人と較べても結果的には貧富の程度如何によつて懲罰という苦痛を与えられることになり、懲罰の対象となつた行為が刑事手続による制裁される場合を考えると、二重の危険にさらされることになる。また警察の留置所に拘禁される被疑者と較べても、たまたまその拘禁場所の差異により事実上不当な差別を受けることにもなる。

以上のとおり法五九条、六〇条は既決囚と区別せず一律に適用を予定するもので、本来一般国民と平等であるべき未決拘禁者に対して社会的身分、社会関係において不当な差別をするものであり憲法一四条に違反する。

(二)  かりに法所定の懲罰規定自体が憲法に違反したいとしても、本件軽屏禁等の懲罰の適用執行は左記のとおり違法である。

(1)  法五九条、六〇条により在監者に懲罰を科する場合、懲罰の言渡しは法施行規則一五九条により、所長がこれを行うべきことが義務づけられている。

右懲罰は行政法上の懲罰であつて刑事上の刑罰ではないが、拘禁中の被告人受刑者の自由を拘束するものであるから憲法三一条にいう刑罰に含まれると解される。したがつて懲罰を科するには憲法三一条にいう法律の定める手続によらなければならない。

思うに、法施行規則に特に懲罰の言渡しは所長がこれを行うべしと規定した趣旨は、懲罰による在監者の拘束は、実質上は刑罰にも比すべき重大な人権に対する規制であるから特に慎重を期し、その処分が違法不当におちいらないように担保する目的で規定されたものである。

しかるに原告に対する前記懲罰の言渡しは法施行規則に違反し、横浜刑務所保安課法務事務官監守長松永竹四によつてなされた。したがつて本件懲罰は法施行規則一五九条に違反し無効である。

(2)  本件処分は裁量権の濫用であつて違法である。

法六〇条は、懲罰の内容として最も軽い叱責から最も重い七日以内の重屏禁まで一二項目の種類を規定している。紀律違反者に対し、右のうちからいかなる内容の懲罰を選択し、または併加して執行するかは行政庁の自由裁量権の範囲に属するが、法はその適用にあたつては、いやしくも在監者の人権侵害がなされないよう慎重を期していることが窺える。したがつて右自由裁量権の行使も右目的に応じた一定の限界があり、右目的を逸脱した濫用があれば、当該行政行為は違法となるを免れたいのである。

本件処分は法六〇条に定める中で最も重い懲罰(横浜刑務所ではその設備がないため六〇条一項一二号の七日以内の重屏禁処分はなく事実上軽屏禁が最も重い懲罰となつている。)であるうえ、さらに文書、図画閲読の禁止、自弁に係る衣類臥具著用の禁止を併加して処分したもので、これにより原告は一室に閉じこめられたまま弁護人以外のものとの接見は勿論のこと、読書、入浴、戸外運動も禁止され、事実上完全な肉体的精神的自由の拘束が課せられているのである。

ところで本件処分の対象となつた紀律違反行為は単なる落書であり右落書が刑務所内のいかなる秩序維持に反するのか疑問であるばかりでなく、落書した原告の心情を考えてみても、原告はいわゆる確信犯で、自らの行為に罪悪の意識を全く持つてないうえ、勾留は今回がはじめての経験で勾留中の紀律違反の内容についても熟知しておらずさらに二ヵ月有余の長期勾留を余儀なくされ、精神的肉体的にうつ憤のやり場のない状態におかれたのであつて、落書という単純な行為によりうつ憤を晴らしたくなるのも十分理解し得るところであり、現実に原告が落書した房内の壁には他に無数の落書があるのである。

原告は担当の調べ官に対して二度と落書をしないと誓つており、また落書は現在すべて消されている状態からみても、本件処分は政治的意図による不当な人権侵害と断ぜざるを得ないのである。以上のとおり横浜刑務所長のなした本件処分は、著るしい自由裁量権の濫用であり、かかる不当な人権侵害は、憲法の人権保障を尊重する精神に照らし、到底容認出来ない違法なものといわなければならない。

(3)  戸外運動および入浴禁止処分の違法性

(イ) 軽屏禁はその内容として、戸外運動および入浴禁止を含まない。

横浜刑務所長は、戸外運動および入浴禁止が軽屏禁の当然の効力であるとして原告に対し右処分を執行した。

法六〇条二項は「屏禁ハ受罰者ヲ罰室内ニ昼夜屏居セシメ」ることとしている。その懲罰としての意義は、監獄内の紀律に違反した在監者を罰室内に分離拘禁し、他の受刑者等外界との接触を断ち、孤独にしておいて反省の効果をあげることにある。この意味から言うと、右規定にいう屏居がいかなる場合にあつても受刑者を罰室外に出さないことを意味するものとは考えられない。しかも「情状に因リ就業セシメザルコトヲ得」とあることからすれば、罰室内での行動の自由は勿論のこと、必要ある場合、戸外活動を許されることを前提としていると思われる。人間としての生活を維持するに必要な限りで受罰者を罰室外に出すことは屏居に反するものではなく、軽屏禁と矛盾するものではない。換言すれば、軽屏禁は人間としての生活を維持するに必要な限りで受罰者が罰室外に出ることを禁ずることまでその内容とするものとは言えないのである。

したがつて戸外運動や入浴については、人間としての生活を維持するのに必要であるが故に、またその限りでこれらを禁止することは軽屏禁の内容となるものではないと解さなければならない。このことは戸外運動に関して法六〇条一項八号が「運動ノ五日以内ノ停止」について、軽屏禁とは別箇の懲罰種類としていることからも窺えるのである。

またかりに、軽屏禁の当然の効力として戸外運動および入浴が禁止されるとするならば、最大限においては二ヶ月間も禁止できることとなり、極めて不当と言わなければならない。

(ロ) 戸外運動および入浴禁止処分の適否

一般に戸外運動および入浴が、人間としての健康保持のために不可欠なものであることは何人も異論のないところである。このことは受刑者にあつても変りがない。それゆえ、法三八条は「在監者ニハソノ健康ヲ保ツニ必要ナル運動ヲ為サシム」と、法施行規則一〇六条一項は「在監者ニハ……戸外ニ於テ運動ヲ為サシムベシ」と規定し、さらに同規則一〇五条は「在監者ノ入浴ノ度数ハ……所長之ヲ定ム但六月ヨリ九月マデハ五日毎に一回、一〇月ヨリ五月マデハ七日毎に一回ヲ下ルコトヲ得ズ」と規定し、在監者の戸外運動および入浴を保障している。

そこで人間の健康を保持するために、最低限度どの程度の戸外運動および入浴を制約した場合に、人間としての健康を保持することが出来なくなると考えるべきであろうか。

この点は科学的判断を要する困難な問題であるが、少くとも本件において横浜刑務所長のなした一五日間戸外運動および入浴を禁止する処分については、人間としての健康保持の為に必要な最低限度の戸外運動および入浴を侵害するものと言わなければならない。このことは前記法六〇条一項八号が運動停止の懲罰期間を五日以内としていること、同法施行規則一〇五条但書が入浴度数について規定していることからも窺われるところである。したがつて横浜刑務所長のした、戸外運動および入浴禁止の処分は人間の健康保持のための最低限度の生活を侵害するものとして、反人道的な性格をもつものと言わなければならないし、憲法三六条にも違反する処分と言わなければならない。

さらに、横浜刑務所長の右処分は現行監獄法規にも違反するものである。法六〇条一項八号が懲罰として運動停止を五日以内にとどめていることは、同法三八条とあいまつて五日を超える運動停止は、懲罰としても許されないことを保障しているものと解すべきであり、同法施行規則一〇五条但書の定める入浴度数は、すべての場合の最低限度を保障しているものと解されるのであるが、横浜刑務所長の前記処分はいづれも一五日間戸外運動および入浴を禁止するものであつて、右の保障の限度を侵し右法規に連反するものである。

したがつて、横浜刑務所長の右処分は法三八条、六〇条第一項八号、同法施行規則一〇五条但書に反する違法な処分である。

(4)  文書図画閲読の禁止処分の適否

何人もいかなる図書であろうと、それを読む自由を持つ。その自由は憲法一九条の保障する思想の自由そのものではないが、自己の思想の形成につき自由でなければならないことから必然的に導き出される思想形成の手段の基本的人権であり、情報社会における知る権利としての、表現の自由に関連する基本的人権でもある。それは思想の自由と密接不可分の関係にあつて、民主主義の基盤をなす国民の精神的自由の為に厳格に保障されなければならないものである。それゆえ、この自由の保障は在監者に対しても当然におよぶべきであり、したがつて在監者の図書閲読も本質的には自由であつて、刑務所長の許可によりはじめて閲読できる性質のものではないと言い得る。たゞ、在監者の収容関係という公権力関係の設定目的からみて合理的に不可欠と考えられる限度において、右の自由に対して制限が加えられるべきである。すなわち、図書の購読が拘禁および反省上危険であることが明らかな場合、あるいは矯正教化の目的を阻害することが明らかな場合でない限り加えられるべきでない。

本件についてみるに、原告は単なる落書をしたという紀律違反に問われたのである。これに対する処分は一切の文書図画の購読の禁止処分である。

一体この図書閲読が原告に対する拘禁の目的を阻害することが明らかであるとどうして言えるのであろうか。何らの合理的理由を発見することは出来ない。してみれば法六〇条一項四号に基き、横浜刑務所長がなした文書図画閲読禁止処分は、いずれも原告のもつ図書閲読の自由という基本的人権を侵害するものとして、憲法一九条、二一条に違反する処分と言わなければならない。

(5)  自弁に係る衣類臥具著用の停止処分の違法性

原告は落書という紀律違反行為によつて本件処分の結果、いわゆる囚人服を着せられている。無罪の推定を受けている原告に対し、既決囚と同様の衣類臥具を強制しているのである。個人の尊厳は憲法の保障する基本的人権のうち最も根元的なものであり、幸福の追求権もここから派生する。したがつて原告の自弁による衣類臥具著用の自由は、それを禁止する合理的な理由がない限り最大限に保障されなければならない。

既決囚に対しては、原則として行刑の目的から自弁の衣類臥具の著用を制限して統一した衣類臥具等を著用させていることは、ある程度合理的な理由が認められるが、本件のごとき無罪の推定を受けている被告人に対してこれを強制したことは単なるみせしめであつて、何ら他に合理的な理由を見出すことは出来ない。

憲法三一条の法定手続の保障は、その内容として刑の均衡およびその適用を保障しているが、被告人である原告に対し、単なる落書行為に対し実質上の刑罰である本件処分を適用したことは、著しく刑の均衡を欠き違法な処分と言わなければならない。

したがつて、本件処分は憲法一三条、三一条に違反し違法である。

五、以上のとおり原告は憲法違反の監獄法とその運用により横浜刑務所長から違法な本件懲罰を科せられ、その執行を受けたものであつて、この過酷な屈辱的な非人間的懲罰の結果、原告ははかり知れない精神的苦痛を余儀なくされ、著るしく人権を侵害された。その苦痛は金三〇万円をもつて慰藉されるべきところ、被告は国家賠償法一条一項に基きこれを賠償する責任を負わなければならない。

第三被告の答弁および主張

一、請求原因第一項の事実は認める。

二、同第二項の事実は認める。ただし文字は縦一五センチメートル、横七センチメートルの大きさである。

三、同第三項の事実は認める。

四、同第四項はすべて争う。

(一)  法五九条、六〇条の規定は憲法に違反しない。

既決、未決に共通する事項についてまで異別の条文を設けなければならない理由はなく、一箇の条文で両者に対する規定を設けても何ら憲法に違反しない。

(二)(1)  原告は、本件懲罰は監獄法施行規則一五九条に違反し違法である旨主張するが、右規定の趣旨とするところは、懲罰権限か公の営造物である刑務所の長としての刑務所長にあること、懲罰に処する際には所長の責任で当該在監者に言渡し(告知)すべきことを規定したものであつて、事実行為としての当該告知行為そのものを直接所長がなすべきことまでを要求したものではない。

すなわち法施行規則には一五九条と同様、刑務所長の職責として規定されている事項が多数あり、これらの職責行為のすべてを所長自ら一人で処理することは大規模な刑務所においては不可能であり、横浜刑務所における昭和四三年八月一日から同四四年七月三一日までの間における懲罰件数は一、八八七件におよんでおり、これらの懲罰についてすべてその言渡しの事実行為を所長が行うことは、所長には他に各種の重要な職責があることにかんがみれば、不可能であることは自明の理である。

したがつて法施行規則一五九条は事実行為の言渡しを所長自ら行うべきことを定めたものではなく、懲罰の要件である言渡しを所長の責任で行うべきことを定めたもので、所長の命令の下にその部下職員にその事実行為を行なわせることを禁ずるものではない。

ところで横浜刑務所における懲罰の言渡しは、所長の命により既決監(懲役監、禁錮監、拘置場)の在監者に対しては、保安課長が、拘置監の在監者については保安課拘置区長が所長に代つて言渡しを行うこととなつており、原告については拘置区長である看守長松永竹四が所長の命により被告の代行者としてその言渡しをしたものであつて、何ら違法ではない。

(2)  原告は、本件懲罰は自由裁量権の濫用であり、不当に重い旨主張する。

しかしながら、本件懲罰は、横浜刑務所管理部長、同保安課長、同教育課長等をもつて構成する懲罰審査委員会に附議したうえ、この種規律違反行為に対する懲罰として、通常処せられている懲罰に処したものであり決して重くなく刑務所長の正当な範囲内にあり、裁量権の濫用にはあたらない。

すなわち落書は、通常居房内の壁、床板、机、食器、貸与本、作業製品等に対して行われるが、これら落書に対する懲罰は、横浜刑務所においては通常その種類として軽屏禁に処し、文書、図画の閲読の禁止を併科し、さらに受刑者については作業賞与金計算高の減削、被告人らについては自弁にかかる衣類臥具の著用禁止を併科していた。そしてその日数は情状に応じ通常は七日ないし一五日位であつて、作業製品に悪質に落書をして廃品化したような情状が重いときは、二〇日ないし三〇日におよぶこともあつた。

ところで原告は、前記原告の主張どおり、居房の金網の針金を折り取つたうえ修復困難な落書をし、またその行為について正当化するなど改悛の情も不十分であるので、一五日の軽屏禁に処したものである。

落書行為は法施行規則一九条により在監者の遵守すべき事項として禁止されており、右遵守事項に違反すれば懲罰を受けることがある旨を居房備付の在監者の心得にも明記し周知させているものである。またこの行為が社会的に非難されるべき行為であり、甚だしき場合は刑罰の制裁を受けるものであることはいうまでもないことであつて、他の規律違反行為に対する懲罰と比べても決して重いとは言えない。いわんやいかなる懲罰を選ぶかは刑務所長の自由裁量であり、本件懲罰が右裁量権の濫用にあたり違法であるとは到底言えないものである。

(3)  軽屏禁執行中の戸外運動、入浴、接見、および文書図画閲読禁止処分ならびに自弁にかかる衣類臥具著用の停止処分はいずれも違法ではない。

軽塀禁の内容を定めた法六〇条二項の「屏居」が、屏禁罰を科せられた者をして罰室外に出ることを一切禁止するものであることは文書上明白であつて、戸外運動あるいは入浴が行えなくなるのは屏居の当然の帰結である。入浴や運動はそれ自体が重要な基本的人権を構成するものではなく、要するに保健慰安の手段として意味があるのであるから、入浴、運動はたとえ屏居を命ぜられている者に対しても確保さるべきものとは到底考えられない。法六〇条一項八号が運動停止の懲罰を五日以内に定めているからといつて、これより高位の懲罰である軽屏禁の内容が限定されることにはならないし、また法施行規則一〇五条但書は必ずしも例外を許さない趣旨で定められたものではなく、むしろよるべき基準を定めた訓示的規定と解するを相当とし、この規定が在監者に七日に一回入浴を享有すべき権利を付与したものとは解し難いから、この規定に違反したからといつて直ちに違法ということはできない。

横浜刑務所における軽屏禁執行中の取扱いは、入浴は認めないが身体の払拭はさせており、接見も弁護人については全面的に認めているほか、その他一般人についても遠距離から来た場合等特に必要のある場合には許可しているのである。原告の場合においても身体の払拭を許し、弁護人との接見を許していたのである。なお原告に対し、懲罰の期間中一般人からの接見の申出はなかつた。さらに訴訟上必要と認められる書類の閲読および認書は軽屏禁執行中といえども許しており、原告に対してその防禦権を不当に侵害した事実はない。また収用者用の衣服は、収容者の名誉と保温と衛生を旨とし、季節に適したものであつて、これを著用させることが奴隷的拘束を強いる残虐な刑罰になるとは言い得ない。

第四証拠〈省略〉

理由

一、原告がいわゆるアスバツクの小田原事件で凶器準備集合罪により、昭和四四年六月三〇日横浜地方裁判所に起訴され、同年八月三〇日保釈されるまで横浜拘置所に勾留されていたこと(請求原因第一項の事実)、原告が昭和四四年七月二九日右刑事々件の勾留理由開示公判に出廷するため、同裁判所内仮拘置監第五房に収容され、居房窓硝子の金網から直径約二ミリメートルの針金を、長さ三センチメートル折り取り、これを使用して同房入口右側壁に三ヵ所にわたり「中核」「中」および「核」と落書したこと(同第二項の事実)は落書の字体の大きさを除いていずれも当事者間に争いがなく、〈証拠省略〉によると、本件落書中「中核」の文字は縦約一五センチメートル、横約七センチメートルの大きさ、「中」および「核」の各文字はいずれも縦約五センチメートル、横約三センチメートルの大きさであつたことが認められ、他にこれに反する証拠はない。

二、そして昭和四四年八月八日訴外横浜刑務所長は、原告のなした本件落書が、法五九条に該当するとして、法六〇条一項四号、六号、一一号の規定に基づき、原告に対して一五日間の軽屏禁、執行期間中戸外運動、入浴、文書図画閲覧の禁止および自弁に係る衣類臥具著用の停止の本件懲罰を科し、同日原告に対し、執行したことも当事者間に争いがない。

三、よつて、以下原告の本件懲罰は違法無効である旨の主張について順次判断する。

(一)  法五九条、六〇条の規定が憲法違反との主張について。

原告主張のとおり法五九条、六〇条の規定が、既決、未決の拘禁者を区別せず、一律に適用すべく設けられていることは法の規定から明らかなところ、なるほど未決拘禁者は、無罪の推定を受けるのであるが、その拘置所における地位についてみると、逃走または罰証隠滅の防止上外部から隔離するため拘置所に拘禁することは憲法三四条の予定するところであつて、それ自体憲法の精神および他の規定に背馳するものとは到底言えない。そして法五九条、六〇条の規定が監獄内における紀律保持と、反則者に対して反省を促すことを目的とし、いずれもこれが既決、未決に共通するとして同一の条文でこれを規定したとしても、これをもつて違憲無効であるとはいえない。

(二)  本件懲罰の言渡し手続が、監獄法施行規則一五九条に違反し無効であるとの主張について。

本件懲罰の言渡しが横浜刑務長ではなく法務事務官松永竹四によつて行われたことは当事者間に争いがない。

しかして法五九条、六〇条、法施行規則一五九条の法意は、懲罰の言渡しが刑務所長の責任においてなされることを要求しているものであつて、言渡しの事実行為自体を他の者に代行させることを禁ずることまで要求しているものではないと解すべきである。

そして〈証拠省略〉によると、横浜刑務所においては、懲罰の言渡しは従来より所長の決裁後、受刑者、既決者に対しては保安課長が、未決者に対しては拘置区長が言渡しを代行する慣例となつており、原告に対する言渡しも昭和四四年八月八日所長の決裁を経て慣例どおり前記のとおり当時拘置区長であつた訴外松永竹四が代行者として本件懲罰の言渡しをなしたものである。以上の事実が認められ、他に右認定に反する証拠はない。

とすると、本件懲罰の言渡し手続には何らの瑕疵はないから、この点に関する原告の主張は理由がない。

(三)  本件処分は裁量権の濫用による処分であり違法であるとの主張について。

刑務所内における紀律違反者に対していかなる内容の懲罰を選択し、また併科して執行するかは刑務所長の自由裁量に属する事項であつて、その実際的運用は、監獄法が在監者に対する懲罰を定めている理由、紀律違反の内容、懲罰による不利益処分の内容およびその程度等が考慮されたうえなされるべきことは明らかであつて、右事情等よりみて正当な範囲を逸脱したとみられる場合にはじめて裁量権の濫用として違法となるというべきである。

よつて原告についてみるに、法の懲罰規定をおく趣旨が、前記のとおり反則者に対して反省を促し、他戒による監獄内の規律保持にあること、また原告の規律違反とされている事実は、前記のとおり横浜地方裁判所仮拘置監第五房内における本件落書であり、これに対して本件懲罰が科せられたものであるところ、落書は、落書の具体的内容により落書された物体、建物等の価値を下落させ、あるいは喪失させる場合があつて、社会的に是認されない行為として非難の対象となる場合の存すること公知の事実であるが、〈証拠省略〉によると、前記認定の「中核」「中」および「核」の落書は、いずれも針金の切片によつて房内の漆喰壁面に約二ミリメートルの深さに掘削書かれたものであり、右壁面を復旧するには単に抹消することによつては出来ず、掘削部分に別材を挿入しあるいは壁面全体を削つて平面にし、さらに壁面として塗装する等の作業が必要であること、現に原告が本件落書をなした房内の壁は、昭和四四年七月二九日右落書部分に水性塗料を塗布して応急処置をなし、さらに同年八月一五日ころまでの間に右落書部分の漆喰を金べらで削り取り、その部分に水性塗料を数回塗装する等の修理がなされたが、右修理によつても、原告のなした本件落書中「中核」の文字は判読し得ること、以上の事実が認められ他にこれに反する証拠はない。ところで、〈証拠省略〉および弁論の全趣旨によると、横浜刑務所においては、昭和四三年八月一日から、同四四年七月三一日までの間に一、八七七件の懲罰件数があり、うち未決拘禁者に科された件数は四四四件、さらにその内訳としては、軽屏禁並びに文書図画閲読禁止、自弁に係る衣類臥具著用の停止併科三九六件、文書図画閲読禁止並びに自弁に係る衣類臥具著用停止併科四件、軽屏禁並びに文書図画閲読禁止二件、文書図画閲読禁止六件、叱責三六件となつていること、また右懲罰の理由となつた紀律違反の内容としては、抗命五六、題声談話四六、収容者暴行二七、毀棄一〇、不正製作五、職員等暴行三、物品不正授受二、争論、物品不正所持、喝・窃食、賭博・同類似、教唆・幇助・せん助各一、その他二九〇となつていること、右期間における各月末における収容未決拘禁者を合算した一ヵ月の平均収容者教は三〇六・九名であること、しかして右のうち原告と同様の懲罰を受けた者の反則行為、態様をみると、いずれも原告の場合とことさら差異はないこと以上の事実を認めることができ、他に右認定に反する証拠はない。

右事実をもとに考えると、原告に対する本件懲罰は刑務所長の正当な裁量権の範囲内にあるものと認められ、裁量権の濫用にはあたらないものというべく、この点についての原告の主張は理由がない。

なるほど原告の主張自体から明らかなとおり本件懲罰が原告に対して苦痛を伴うものであつたことが窺え、さらに検証の結果によると、原告の落書した居房内の壁には他に落書の存することが認められるが、一方〈証拠省略〉によつて認められるように、横浜刑務所においてはあらかじめ末決収容者に対し落書をしないこと、もしこれに反すれば懲罰がなされ得ること等を記載した「未決収容者の心得」と題する冊子が原告に対しても閲読し得る状態にありその周知をはかつていたことおよび懲罰はそれ自体苦痛を全く伴わないものはその存在目的にそぐわないことを合せ考えれば、それらが原告に対する本件懲罰の適否に直ちに影響するものでないことは明らかであつて、原告の主張は採用できない。

(四)  戸外運動および入浴禁止が違法であるとの主張について。

法六〇条一項一一号に規定する軽屏禁は「受罰者を罰室内に昼夜屏居せしめる」(法六〇条二項)のであつて、その懲罰の性質上戸外運動および入浴の停止を随伴するものと解され、軽屏禁の執行として当該期間中原告に対し戸外運動および入浴をなさしめないからといつて原告主張のように、直ちに違法であるとは言えず、もとより憲法に違反するとも言えない。

なるほど健康保持のため、戸外運動および入浴が人にとつて必要なこと論を待たないが、〈証拠省略〉によると、横浜刑務所においては軽屏禁執行のため入浴できない在監者に対しては週一度湯を配付して身体を払拭させており、原告に対しても同様の処置がとられたこと、運動面については軽屏禁執行の前後に医師の診断を受けさせて、その健康面から懲罰の執行に耐えられるかどうか医師の判断もなされていることがそれぞれ認められ、この点よりみても原告に対する本件懲罰が最低限度の生活を侵害するものとはいえない。

さらに原告主張の法六〇条一項八号の運動停止の懲罰は懲罰の種類として定められているものであり、これより高度の懲罰の内容に五日以上の運動停止が随伴されるからといつて同法条に違反するとは言えず、また法施行規則一〇五条但書の規定は在監者に入浴度数を権利として付与したものではなく、刑務所の運用の指針として定められた訓示的規定と解すべきであり、実際の入浴回数が右法規の定める回数と異つても直ちに違法と言うことはできない。

(五)  文書図画閲読の禁止について

憲法一九条、二一条に規定される自由の保障は、全く無制限に享受されるものではなく、本件懲罰のごとき場合には合理的制限として許されるものというべきである。

しかして〈証拠省略〉によると、横浜刑務所においては、訴訟、公判等に必要な書類は当該懲罰執行中であつても受罰者に対し授受閲読させていることが認められるのであつて、原告の違憲との主張は採用できない。

(六)  自弁に係る衣類臥具著用の停止処分について。

本件懲罰の目的から考えて、当該停止処分が違憲であるとは言えない。

四、よつて原告の本訴請求は理由がなく失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 柏木賢吉 花田政道 板垣範之)

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